安産とは?

産婦さんが納得されてこそ安産

《お産は胎教の総仕上げ》
《お産は赤ちゃんが主役であり、お母さんはス-パ-サブである》
と寺子屋では訴えている。

では、お産って? と改めて問えば《赤ちゃんの誕生》と定義できるだろう。
余談であるが、広辞苑を調べると出産・分娩という言葉はあるが《お産》という言葉はなかった。

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先日、産婦のHさんから連絡を受けて病院へ出向いた。
《お産》を直前にしたHさんと旦那さんと3人で、23時~3時30分の4時間半を過ごしていて、お産について色々と気付いたことがあった。

一つは、私はお産に関して全くの素人で、知識も経験も持っていないことを実感した。
私自身は産まれて来た時の記憶を全く持っていないし、お産の介助も立会ったことすらなかったからである。

Hさんと話していて、《お産は、いつを始まりとするか?》という認識すら、曖昧であったことに気付いたのである。
また、産婦に甲斐甲斐しく接しておられた助産婦さんの様子からは、お産の始まりを理解されているようには思えなかった。

定義では、

  • しっかりとした本格的な陣痛が規則正しく始まった時。
  • 子宮口が何cm開いた時。
  • 破水が始まった時。
  • おしるしがあった時。

等など、様々な状況からされているに違いない。

私がお産の始まりの定義に拘る理由は、《お産》が始まった時、赤ちゃんはどのような応援を望んでいるのか?という大事なテーマだと考えるからであり、しっかりと応援が出来たという納得のいく《お産》は、その自覚を持つことによって必ず得られるはずだ。と確信したからでもある。

《お産》とは、私の考えからすれば、決して苦痛を耐える時ではない。
もし、苦痛を耐える時もあるというのであれば、まだ《お産》は始まってはいないのである。お産の始まりについての持論は後述しましょう。

では、《お産》=《陣痛の痛み》を、どのように理解すればいいのだろう? 私には、陣痛の波に身を委ねていたHさんの姿から、赤ちゃんの思いが感じられたのである。
その思いとは、受精卵から育ててくれた母親の子宮との別れを小さな胸に留め、万感の思いで惜別の辛さを表わしているように思えた。

陣痛は、お母さんには耐え難い激しい痛みとして自覚されるだろう。
けれども、赤ちゃんにとっては痛み以上に、きっと辛いに違いないと思えて仕方がなかったのである。

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『納得のいくお産は、必ず出来るはずである。』というのが、私の偽らざる心境である。しかし、実状は少し違っているようである。

懇意にしている助産婦さんの紹介で、12年間 助産婦として病院勤務をされているTさんが来院された。治療後
「スムーズに進むお産のケースはどの程度の割合です?」と尋ねると
『そのようなお産は、本当に少ないですね。』と話された。

その折、
「お産の始まりとは、いつと定義されているのです?」と尋ねると
『しっかりとした陣痛が、規則正しく始まった時と教わりました。』と教えてくれた。

現代医学がお産の始まりとしている陣痛というシグナルと、私が考えている体が受信するシグナルとは、明らかに違っている。
以下は、私の寝言と思って読んで頂ければ幸いである。

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Kさんが安定期に入り【三陰交】のお灸を始めるために来院された。
昨年の10月12日、赤ちゃんを待っています。という愁訴で来院され、今年の3月が最終月経となって、こうのとりが舞い降りてくれたという嬉しい状況だった。

お灸をすえ終えた時、《お産》について話が弾んだ。
「ちょっと無理な想定だけど《お産をする》ということを食事に置き換えると、食事を始めた時は、どこからだと思う?」と尋ねた。

看護師でもあるKさんは、質問内容に戸惑いながらも少し考えてから
『調理を始めた時からじゃないですかねぇ?』と答えてくれた。
「成る程、調理をする女性らしい見方だねぇ~。でもなぁ~、もしそうだとすれば、レストランでの外食は、食事をしたことにはならないよなぁ~。」

「食事をするというのは、食べ物を口にした時を始まりとするで良いんじゃない? 
調理とは、美味しく食事をするための知恵であり方法だよ。その前には食材を買い求める過程もあるしねぇ。」

私が訴えたいことは、食材を買い求める時・調理する時・食べる時に、テーマは決して同じではなく、それぞれの大事な取り組みがあるという点である。

つまり、《こうのとりが舞い降りる日を待っている時期=食材を求めている時》《妊娠ライフの時期=調理の行程》《お産=食事を始めた時》、と想定することが出来るという訳である。更には《子育て=体を養う(食養)》と言えるのだ。

では、お産の始まりを先程助産婦から聞いた
『しっかりとした陣痛が規則正しく始まった時と教わりました。』
というシグナルを、食事に変換した場合どの行程になるのだろう?

私は次のように思える。
陣痛とは、食事に変換すれば調理の最終行程であり、おいしく食するために料理に見合った食器に盛り付けている過程であり、まだ食している段階ではないのだ。
それは、先程述べたように、それぞれの局面においての適切な対応なのである。

 

現代医学がお産の始まりをしっかりとした陣痛が規則正しく始まった時としているのは、現代医学の本質に起因しているからである。

つまり、『病気とは体に発症した病理状態であり、その状況を改善するためには、体に代行して適切な処置を実施して、正常な体調へと導く医学である。』という特徴を基本的に保持しているからである。

そのため、しっかりした陣痛という生理的現象に対しては、その動向をただ見守ることがベースとなるのである。(当然、微弱陣痛という非生理的な状況下では、適切な処置が施される)

一方、東洋医学は病気に対する考え方が現代医学と違っているため、当然のことながら、その対応も違っている。
病理状態の改善には、体自身が保有している治癒力のシステムを最大限に発揮するためには、どのような応援を体にすれば生理的状態へ改善するかを念頭に置いた医学であり、決して体の代行をしようとする医学ではなぃ。

また、体に対する応援は、病理状態のみに適応するのではなく、生理状態の状況下でも、適切な応援によって、体の治癒力はより高まるという一面を含んでいるのである。
この違いは、体が発するシグナルに対して実に興味ある違いを示すことになる。
その一例として、陣痛を挙げてみよう。

 

陣痛は《お産》を迎える時、本格的なしっかりと規則正しいものであれば、生理的現象と受け留め、その動向を見守って来るべき赤ちゃんの誕生の時を待つばかりである。

東洋医学では、本格的な陣痛が始まった時【三陰交】【至陰】へ小灸をすえることによって、赤ちゃんの思いをしっかりと受け留め、積極的に応援することが可能なのである。だからこそ、赤ちゃんはより安心して新たな世界への旅立ちをスムーズに始めるのである。

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では、お産の始まりをいつとするのか?
それは、赤ちゃんがお母さんへ《いきんで欲しい》というメッセージを発信した時であり、それを受信したお母さんが、タイミングを合わせて《いきんであげる》という営みの瞬間こそが《お産》の始まりなのである。

だからこそ、《お産》は赤ちゃんが主役であり、お母さんがスーパー・サブとして応援することなのだ。

では、赤ちゃんが発信する《いきんで欲しい》というメッセージに対して、お母さんはどのように応援すればいいのだろう?

《いきんで欲しい》という声に応えるには?』という具体的な方法である。
《いきむ》という言葉を、あなたはどうのように理解されるだろう?
何故、私が言葉に拘るのか?
それは誤解を招き易いからである。

《いくむ》という言葉は、
『息を込めて腹に力をいれる。いきばる。』である。この言葉を正確に理解すると同時に、大切なことが次にあると思うからである。
くどくなるが、大事なことなので理解を得やすい様に(?)述べてみます。

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岐阜県瑞浪市で鍼灸院を開業されている《夢ごこち治療院》の長谷川美和先生は《きららちゃん》を自宅でのお風呂で水中出産されたのだが、お産を振り返って
『大層な便通のような感じだった。』
と話されていた。

私の定義からも納得出来る。つまり、
《お産》とは、決して苦痛を耐える時ではないからである。

誰しも生理的な排便・排尿・おなら・発汗の状況下は心地良い感じはあっても、苦痛を耐える状況ではない。《お産》の瞬間も同じである筈なのである。
私は長谷川美和先生のお産の印象こそ、適切な応援のあり方だと確信している。

つまり、《いきんで欲しい》というメッセージは、最初の一瞬だけ
《息を込めて腹に力をいれて、赤ちゃんを押し出そう》と応援をするのであり、その後は可能な限り力を抜いて、筋肉・靭帯が緩んだ状況を創り出すことであろう。
《いきむ》とは《りきむ》という事でもなく《きばる》ということでもない。

赤ちゃんはその時(筋肉・靭帯が緩んだ状況)を得て、力の限りを尽くしながら新しい世界へと生まれて来るのである。

 

更に付け加えるなら、先程、陣痛が始まった時を食事に置き換えれば、料理を食器に盛り付ける最終行程だと述べた。
京料理は《器を食する》と言われるほどに、最終行程の盛り付けには気を配るものである。

陣痛が始まった時、大仕事を目前にしている赤ちゃんを力強く応援する意味で、【三陰交】【至陰】へのお灸を、是非実践して欲しいと強く願わずにはいられないのである。

それは、実践された多くの産婦さん達が、『赤ちゃんが喜んでくれたと確信出来ました。』という机上の理論ではなく、体験を踏まえた真実の声に基づいているからである。

赤ちゃんを待っている人も、妊娠ライフを過ごしている人も、子育て奮闘中の人も、それぞれの時期に為すべき事がある筈である。

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『調理を始めた時からじゃないですかねぇ?』と答えてくれたKさんからメールが届いていた。紹介しておきましょう。


土曜日にお邪魔しました○○です。
お礼が遅くなってしまったのですが、ありがとうございました。

正直言ってお産は未知の世界でイコール怖いこと、痛いこと・・でそこを嫌々ながら通り過ぎなくてはいけないものという認識でした。

でも先日先生とお話をする中で、本当にだんだんとこれからの妊娠ライフとお産をすることが楽しみに思えてきました。

先生に
「旦那さんと、お腹の子と3人でホタルでも見に行っておいで」と言われて、そうか! 今私たちは3人なんや~と思うと、なんだか涙が出そうな感動に襲われました。

そしてタイムリーなことに翌日の朝、隣に住む夫の両親に近所でホタルが見られることを聞き、さっそく見に行ってきました。

私はてっきり近所では無理だと思っていたのですが、いつも仕事で庭のように走っている隣町の小さな川に無数のホタル! とっても幻想的でした。
今年みたホタルの光は一生忘れないと思います。

いろんなヒントをくださった先生と灸太郎先生に感謝します。

追伸 お灸は順調にいっています。
今では胎動がはっきりわかるようになりました。
先生に「鯉のぼりやな」と言われて、鳥肌!

なんでか?って。ちょっと前に男の子を産む夢を見ていたのです。
しかもツルっと。「ああ~お産って楽なのね」と夢の中での感想です。
正夢になりますように。

○○県より○○○○


 

お産は、新しい命がこの世に誕生する感動に満ち溢れた瞬間の時であり、決して苦痛の時ではない。
生みの苦しみという言葉は、大事なことへの準備に目を向けて、どのように取り組むことが大切かを教えているのである。

あなたは《お産》が始まったとする時を、どう定義されるだろう・・・。
赤ちゃんがあなたに求めている応援とは、どのようなことだろう・・・。

 


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